京都・舞鶴空襲、最後の慰霊祭

「舞鶴空襲」から80年となり、慰霊碑に手を合わせる参列者=29日午前、京都府舞鶴市

 京都府舞鶴市の軍需工場などが爆撃され、学徒動員されていた生徒らが命を落とした「舞鶴空襲」から80年となる29日、犠牲者を悼む慰霊祭が同市で営まれた。慰霊碑が建てられた2014年から毎年続けてきた慰霊祭は、担い手の高齢化を理由に継続困難で、今年で最後の予定という。

 式には犠牲者の遺族や関係者約30人が参列し、黙とうをささげ白い菊を碑に供えた。参列した男性はあいさつで「戦争だけはあかんのや」という空襲を経験した父親の言葉を紹介した。

 慰霊祭の事務局長関本長三郎さん(81)によると、舞鶴空襲は1945年7月29、30日にあった。29日朝、旧海軍の軍需工場「舞鶴海軍工廠」に米軍機が原爆の模擬爆弾を投下し、学徒19人と教員1人を含む97人が死亡。30日には機銃掃射などを受け、2日間で計180人の犠牲者が出た。工廠跡地を望む公園にある慰霊碑には、学徒ら20人の名が刻まれている。

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