太平洋戦争末期、大分県・四浦半島の先に浮かぶ津久見市の保戸島で、米軍機による爆撃や機銃掃射で国民学校の児童ら127人が命を落とした「保戸島空襲」から80年となった25日、島にある海徳寺で慰霊の法要が営まれ、地元の小中学生らが追悼した。読経した鈴木真友住職(58)は「戦争の被害に遭った子どもたちのことを忘れないで」と平和を願った。
1945年7月25日午前、校舎に爆弾が直撃した上、機銃掃射も受け壊滅。教員2人を含む127人が死亡、70人以上が負傷した。島には海軍の施設があったが、学校が狙われた理由は分かっていない。
法要には、遺族や島外からも含む児童生徒ら約100人が参列。先々代の住職、故鈴木豊源さんが犠牲者の遺骨を集めて作った「骨地蔵」に手を合わせた。住職は「二度と戦争を起こさないという気持ちを持って大人になってほしい」と子どもたちに語りかけた。
市民図書館では保戸島空襲の被害などを伝える企画展を開催中だ。国民学校に通っていた子どもたちの写真や、出征中の教員に宛てた手紙などが展示されている。