43人が死亡した長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で34年となった。追悼碑の置かれた同県島原市の仁田団地第一公園で、古川隆三郎市長や関係者が献花した。古川市長は「これからの子供たちに災害の教訓を伝えていく」と話した。
古川市長は当時、消防団員として警戒に当たった。3日までに「災害の記憶が薄らぎつつあるのも事実だ。災害で得た経験と教訓を後世につなげ、日本一の自主防災組織を目指していく」とのコメントを出した。
追悼碑前には、小雨が降る中、市の職員や警察官、近隣の学校の生徒らが次々と訪れた。島原中央高校は当時、校舎が警戒区域に入り、約7カ月間、仮校舎での生活を強いられた。同校3年の吉田来未さん(17)は生徒らで作った約1500羽の折り鶴を供え「被災者が一人でも多く安らかになれば」と願った。
「島原復興アリーナ」の消防殉職者慰霊碑前にも献花台が設けられ、訪れた消防団員らが花を手向けた。島原消防団の金子宗弘団長(64)は「先輩の犠牲の中で活動できていることを若い団員に伝えていきたい」と話した。