「村上春樹を読む」(94)芥川龍之介『歯車』と村上春樹 「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」

 村上春樹の短編2作「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」と「『ヤクルト・スワローズ詩集』」が、雑誌「文學界」8月号に同時掲載されました。「『ヤクルト・スワローズ詩集』」などは、題名にも表れていますが、村上春樹がファンであるプロ野球のヤクルト・スワローズへの詩が織り込まれている短編です。

 両作品名の前には連作短編「一人称単数」の「その4」と「その5」と記されているので、同じ「文學界」2018年7月号に掲載された「三つの短い話」(「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」)に繋がる作品ということなのでしょう。「三つの短い話」の発表時には「一人称単数」の言葉は記されていませんでしたが、でもいずれも「僕」や「ぼく」の「一人称単数」で書かれた作品です。きっと1つの短編集にまとめられる作品群なのだと思います。

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 この作品を読んだ村上春樹ファンの反応は、「『ヤクルト・スワローズ詩集』」などを「やや軽い作品」と受け取る人、「えっ、ヤクルト・スワローズへの詩も書いちゃうの!」と村上春樹に対して、面白がる人とか、いろいろあるようでした。

 「村上春樹を読む」は、村上春樹作品を愛する読者として、作品がどのように読めるか、作品からどんなものを受け取れるかということを、それらの作品が発表された時点で、リアルタイムで、その感想を記していくコラムです。ですから今回も、新作短編2作について、私の思いを書いていくのが、この「村上春樹を読む」というコラムを書いている者としての務めかと考えています。

 でもまだ未読の人もいると思います。作品内容に詳しく触れて紹介していきますので、未読の方は、このコラムを読む前に、まず「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」と「『ヤクルト・スワローズ詩集』」をぜひ読んでください。

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 この2つの作品は、かなり変わった作品です。例えば「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の最後に[設問・二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたのでしょう?]という[設問]が記されています。最後にこのような[設問]がある作品は、もしかしたら初めてではないかと思います。私にはすぐに例を挙げることができません。

 「『ヤクルト・スワローズ詩集』」の方にも、こんなことが記された作品あったかなと思う場面があります。その『ヤクルト・スワローズ詩集』のナンバー入りの5百部、全部にきちんとサインペンで「村上春樹、村上春樹、村上春樹……」と署名したとあるのです。

 これまでも、作者の職業が作家だったりして、読んでいると、村上春樹自身に近い主人公かなと思わせる作品はありました。でも作中に「村上春樹、村上春樹、村上春樹……」と自らの名前を記す小説は無かったと思うのです。

 それとタイトルをよく見ると「『ヤクルト・スワローズ詩集』」というふうになっていて、『ヤクルト・スワローズ詩集』がさらに「 」で括られています。

 つまり、作品の最後に[設問]が置かれた「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」も、『ヤクルト・スワローズ詩集』を「 」で括った「『ヤクルト・スワローズ詩集』」もたいへん自覚的で、異なる位相を含んだ作品なのだと思います。

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 まず最後に[設問]がついている「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の方から考えてみたいと思います。私には、この作品は村上春樹にとって、とても大切なことが描かれていると感じました。村上春樹の世界観と小説観が記されているように思ったのです。

 この作品には2人の女の子が出てきます。最初の女の子は僕と同じ高校に通っている、名も知らぬ、同学年の人です。時代は1964年、ビートルズ旋風がまさに世界中を吹き荒れていた時。1964年の秋の初めの季節、その女の子が学校の廊下を一人で早足で歩いていました。僕は長く薄暗い廊下で、彼女とすれ違います。そして、その女の子は一枚のレコードをとても大事そうに胸に抱えていたのです。「ウィズ・ザ・ビートルズ」というLPレコードです。

 「ビートルズのメンバー四人のモノクロ写真がハーフシャドウであしらわれた、あの印象的なジャケットだ。そのレコードは僕の記憶の中では、米国盤でもなく日本国内盤でもなく、英国のオリジナル盤だ。なぜかそのことはとてもはっきりしている」とあります。

 僕は、それ以来、何人かの女性と知り合い、親しくつきあいもしますが、新しい女性に巡り会うたびに、1964年の秋に学校の薄暗い廊下で巡り会った輝かしい一瞬、心臓の堅く無口なときめきと、胸の息苦しさと、耳の奥に聞こえる小さな鈴の音を希求していたような気がするのです。

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 しかし「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」で、重要なのはもう1人の女の子の方です。僕の初めてのガールフレンドとなった、その彼女も同じ高校の小柄でチャーミングな少女です。でも彼女はビートルズの音楽にはほとんど興味を惹かれないようで、ジャズにも関心がありません。好んで聴くのはマントヴァーニ楽団とか、パーシー・フェイス楽団とかロジャー・ウィリアムズとか、アンディー・ウィリアムズとか、ナット・キング・コールとか、「その手のごく穏やかな、いうなれば中産階級的な音楽だった」と書かれています。

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 この彼女との付き合いから、「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」という作品は、深いところに入りこんでいきます。

 1965年の秋の終わり頃の日曜日、神戸のラジオ局の近くにある彼女の家に、そのガールフレンドを迎えに僕が行くのですが、彼女は留守なのです。何度も玄関のベルを押していると、彼女の兄が現れます。そして、僕と、この彼女の兄との対話が、同作品のメインをなしていきます。最初に紹介した[設問]も、この彼女の兄と僕についての[設問]です。

 その彼女の兄の髪はついさっき起きたばかりのように、くしやくしゃと乱れ、丸い首の部分が緩くなった紺のセーターに、膝の突き出たグレーのスエットパンツという格好。いつもきれいに髪を整え、清潔な格好をしているガールフレンドとは、対照的な外見でした。

 その「彼女の兄」が「ええと、君はたぶんサヨコの友だちだよな」と、言います。

 僕は「そうです」と答えて、「十一時にここにうかがうことになっていたんです」と言いますが、「サヨコはいないよ、今」と彼は言うのです。

 彼女の兄の語るところによれば、父親はゴルフに行ったのかもしれず、僕のガールフレンドとその妹の2人はどこかに遊びに出かけたのかもしれません。母親までいないようです。

 「でも君と約束しているんなら、サヨコはそのうちに戻ってくるやろう」「上がって待ってたらいい」と言うのです。

 「ご迷惑でしょうし」と僕が躊躇しても「いや、迷惑なんかやない」と彼は言うのです。居間のソファに僕が座ると、彼女の兄は向かいにある安楽椅子に腰を下ろし、ゆっくりあくびをして「サヨコとつきあっていて面白いか?」と尋ねます。

 「楽しいと思いますが」と答えると、「楽しいけど、面白くはない?」と聞き返してきます。この辺り、やりとりはなかなか面白いです。

 さらに彼女の兄は「これからトーストを焼いて食べるけど、いらんか?」と聞き、「コーヒーは?」と言います。僕は「できればコーヒーは飲みたかった」けれど、彼女の留守に、彼女の家族とこれ以上深い関わりを持つのは、もうひとつ気が進まないので、コーヒーも「けっこうです」と断ります。

 この「コーヒー」の頻出ぶりに注目しておいてください。

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 日曜日の朝に、彼女の兄ひとりだけを残して家族全員が姿を消しているというのも、なんだか不思議な話ですが、僕はバッグに入っていた「現代国語」の副読本を取り出して、読みながら、彼女の帰宅を待ちます。

 その副読本に収録されている小説や随筆はいくつか外国の作家のものもありましたが、ほとんどは日本の近代・現代作家の作品で、芥川龍之介や谷崎潤一郎や安部公房などの有名な作品が選ばれていました。それらは大半は抜粋でしたが、最後にはいくつかの設問が添えられています。

 それらの設問の多くは、例によってろくすっぽ意味を持たないものでした。「意味を持たない設問」というのは、解答の正否を論理的に判定しづらい(あるいは判定できない)設問のことのようです。それを書いた作者自身にだって、そんな判定が下せるかどうかあやしいものです。

 たとえば「この文章に託されている、戦争についての作者の姿勢はどのようなものでしょう?」とかいうものだと、村上春樹は書いています。

 この「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の最後に[設問]が付されているのは、この副読本に付された「設問」に対応した、村上春樹のユーモアに満ちた設定なのでしょう。

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 彼女の兄は、白くて大きなマグカップでコーヒーを飲んでいます。そのコーヒーカップには「第一次世界大戦の複葉戦闘機の絵がプリント」されています。「操縦席の前には機関銃が二丁取り付けられて」います。

 彼女の兄のセーターの胸のところにはパン屑がこぼれていました。スエットパンツの膝の部分にもパン屑がこぼれています。たぶんとても腹が減っていて、パン屑のことなど気にしないで盛大にトーストをかじったでしょう。

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 そして、ここからが、この作品の最も重要なポイントだと思いますが、その彼女の兄が僕の読んでいた「現代国語」の副読本に載っている芥川龍之介の『歯車』を朗読してくれと、僕に頼むのです。

 彼女の兄は、僕の持っていた副読本を手にして、『歯車』はちゃんと読んだことがないが、『河童』はずっと昔に読んだことがあるそうで、「『歯車』って、たしかかなり暗い話やったよな?」と言うのです。

 芥川は35歳で服毒自殺していますし、『歯車』は昭和2年(1927年)、芥川が亡くなったあとに発表された作品で、ほとんど遺書のような小説です。

 「ずいぶん神経症的で、気が滅入るような話ですよ」と僕は言いますが、彼女の兄は「たまにはそういう話も聞いてみたい。毒をもって毒を制する、ということもあるやろう」と言うのです。そして、彼は副読本を返し、ドイツ軍の十字マークのついた複葉戦闘機のカップを手にとりコーヒーを飲み、朗読が始まるの待つのです。

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 副読本の『歯車』には全6章のうち、5章「赤光(しゃっこう)」と6章「飛行機」の部分が掲載されていましたが、僕は『歯車』の最後の「飛行機」の部分を読みます。

 その最後の1行は「『誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?』だった。それを書き終えてから、芥川は自殺したのだ」と村上春樹は書いています。

 この最後の行を読み終えても、家族はまだ誰も戻ってはきません。あたりはしんと静まりかえっていて、ただ時間だけが緩慢に、しかし着実に前に進んでいきます。そして、ガールフレンドの兄は、僕が読み終えた文章の余韻を味わうように、腕組みをしてひとしきり目を閉じていました。

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 朗読を終えて、時間は12時を少し回っていたので、帰ろうとすると、彼女の兄は「あと三十分だけ待ってたらどうや」と言うのです。

 「君は朗読するのがうまいな」「内容をよく理解していないと、ああいう読み方はなかなかできんもんや。とくに終わりの方がよかった」と彼女の兄は言いました。

 褒められた僕は、なんだか居心地が悪かったのですが、しかし場の雰囲気からして、どうやらあと三十分、僕は彼の話し相手を務めていかなくてはならないようだと思います。「この人はおそらく、誰か話し相手を必要としているのだろう」と思うのです。

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 そして「彼は身体の前で、お祈りでもするみたいに両の手のひらをぴたりと合わせ」、それから唐突に切り出します。

 「妙なことを訊くみたいやけど、君には記憶が途切れたことあるか?」と言うのです。

 「実を言うとな、記憶がそっくりどこかに飛んでしまった経験が、ぼくには何度かあるねん。たとえば、午後三時に急に記憶が途切れて、気がついたら午後七時になっていて、その四時間のあいだ自分がどこで何をしていたのか、まったく思い出せないみたいな」

 そんなことを彼女の兄は自分の中に抱えているのだと言います。

 「そういうのが起こるのは、今のところ年に一回か二回くらいのもので、それほど頻繁というわけやないけど、でもな、問題は回数やない。問題は、そういうことがあると、現実生活に具体的に差し支えが出てくるということや」と言います。

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 さらに「ひゅっと記憶が途切れているときに、もしぼくが大きな金槌を持ちだして、誰か気に入らんやつの頭を思いきり叩いたりしたら、それは『困ったことでした』みたいな話では済まされんよな、ぜんぜん?」

 さらに「実際のところぼくにも、気に入らんやつは何人かいるよ。頭にくるやつかている。父親とかもな、そのうちの一人や。でも正気の時には、父親の頭を金槌で叩いたりしないよな。さすがに抑制というものがあるから。でも記憶が途切れているときのぼくがいったい何をするかなんて、そんなことぼく自身にもようわからんやないか」と語るのです。

 そして、彼女の兄は自分のことが怖くなって、学校に行けなくなりましたが、母親が彼の置かれた特殊な事情を教師に説明して、なんとか特例を適用して高校を卒業できました。でも大学には進まなかったのです。「で、それ以来、こうやって家にこもってごろごろしている」のです。

 ただ、それに続いて、彼女の兄は「そんなに成績は悪くないので、ここのところ恐怖心みたいなのはだんだんましになっているので、もうちょっと気持ちが落ち着いたら、たぶんどこかの大学に行くことになると思うんやけど……」とも語っています。

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 さて、この彼女の兄が語るものは何でしょう。私は、この「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」を読むうちに、『歯車』の作者・芥川龍之介にも似た病を、彼女の兄の語りの中に感じました。

 よく知られるように、芥川龍之介は、実母が龍之介の生後八カ月ぐらいの時に突然発狂して、母親の実家に引き取られ、伯父と伯母に育てられます。そのために芥川龍之介は、いつか自分も出し抜けに発狂するのではないかという恐怖の中を生きていました。その遺伝の恐怖が芥川龍之介を自殺に駆った最大の要因でしょう。

 ガールフレンドの兄が、記憶喪失している間に父親の頭を金槌で叩いたりしてしまうのではないかとの思いを抱くのは、芥川龍之介の恐怖と重なっているようにも感じます。「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の僕が持つ副読本の『歯車』の「赤光」の中にも「僕も亦母のように精神病院にはいることを恐れない訣(わけ)にも行かなかった」「発狂することを恐れながら」などの言葉が記されています。

 「赤光」は斎藤茂吉の第1歌集です。芥川龍之介は精神科医である斎藤茂吉の診察も受けていました。『歯車』には志賀直哉の『暗夜行路』なども出てきますが、斎藤茂吉にしろ、志賀直哉にしろ、悩んでも、決して自殺をしないタイプの人物を芥川龍之介は頼りにしている面があります。友人・菊池寛にしても、決して自殺しないタイプです。それほど、発狂、自死への恐怖が強かったのでしょう。

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 芥川龍之介が、彼女の兄と重なって感じられるのは、この新作短編の中で繰り返し出ていくる、兄が持つコーヒーカップのことが関係しています。

 紹介したように、その白いコーヒーカップ(兄の専用カップのようです)には「第一次世界大戦の複葉戦闘機の絵がプリントされていた。操縦席の前には機関銃が二丁取り付けられている」とありますし、「ドイツ軍の十字マークのついた複葉戦闘機のカップ」とも記されています。

 村上春樹には、ジェイ・ルービン(村上春樹作品の英訳者)が編者となった『芥川龍之介短篇集』に付せられた「芥川龍之介――ある知的エリートの滅び」という評論があります。

 その中で「芥川は本来的にモダニズムを指向した人だった。彼が生まれたのは一八九二年で、日本が鎖国を解いて、『近代化』という大がかりな外科手術をおこなってから既に三十年、一世代が経過し、時代は一巡りしていた。つまり芥川は生まれながらにして『近代の子』であったわけだ」とあります。

 さらに「彼が作家として活躍した一九一六年から一九二七年にかけては、第一次世界大戦の軍需によって日本が好景気に沸き、いわゆる『大正デモクラシー』が花開いた時代でもあった。日本におけるワイマール時代と言ってもいいかもしれない」と、芥川龍之介の活躍時代を「第一次世界大戦」とドイツの「ワイマール時代」とに村上春樹は関連付けて論じているのです。

 彼女の兄が持つ「ドイツ軍の十字マークのついた複葉戦闘機のカップ」とは、村上春樹が「芥川龍之介――ある知的エリートの滅び」で書いた芥川龍之介像と重なっているのではないでしょうか。

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 その論の中で「僕はこの『歯車』という作品を十五歳のときに読んだ」と村上春樹は書いていますし、「『歯車』における主人公の視線の切実さには、そしてまたどこまでもスタイリッシュに削がれた文体には、まさしく鬼気迫るものがある」とも書き、さらに「自らの人生をぎりぎりに危ういところまで削りに削って、もうこれ以上は削れないという地点まで達したことを見届けてから、それをあらためてフィクション化したという印象がある。すさまじい作業である。『自分の肉を切らせて、相手の骨を断つ』という表現があるが、まさにそれだ」と『歯車』のこと書いています。

 「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」の彼女の兄が僕に朗読を頼む際に「毒をもって毒を制する、ということもあるやろう」と言っているのは、村上春樹の芥川龍之介論の中の「自分の肉を切らせて、相手の骨を断つ」という『歯車』についての言葉を受けて、彼女の兄が述べているのではないかと思ったりもいたします。

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 その芥川龍之介論の中で、芥川龍之介が活躍した時代について、村上春樹は「そのような自由な気風は、一九二九年秋のウォール街大暴落と、それに続く世界的な不況、そして軍国主義・ファシズムの台頭によって見事に潰されていくわけだが、それは芥川が世を去った後の出来事である。我々はまだ芥川とともに、大正時代のデモクラシーと自由主義とモダニズムの中にいる」と記しています。

 「我々はまだ芥川とともに、大正時代のデモクラシーと自由主義とモダニズムの中にいる」との言葉は、現代人に向けた言葉かと思います。

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 さて、それなら、芥川龍之介が自殺したように、彼女の兄は自殺するのでしょうか。

 「僕は修理に出した腕時計を受け取るために、夕方前に渋谷の坂道を上がっていた」のですが、そのときすれ違った男に、背後から声をかけられます。

 彼女の兄でした。僕も35歳となっています。職業は「物書き」と記されています。

 僕の彼女の兄は「君があのとき読んでくれた芥川の『歯車』の中に、飛行士は高空の空気ばかり吸っているから、だんだんこの地上の空気に耐えられんようになる……みたいな話が出てきたやろう。飛行機病というやつ。そんな病気がほんとうにあるのかどうか知らんけど、しかしその文章を今でも覚えているよ」と言うのです。

 『歯車』では「僕」が妻の母や弟たちと話していると、「烈しい飛行機の響き」が僕らを驚かします。それは「翼を黄いろに塗った、珍しい単葉の飛行機」でした。

 この「単葉の飛行機」と、彼女の兄が持っていたコーヒーカップの「第一次世界大戦の複葉戦闘機」も対応しているものでしょう。

 「あの飛行機は落ちはしないか?」という僕の心配に「大丈夫。……兄さんは飛行機病と云う病気を知っている?」と言って、妻の弟が話す場面です。

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 彼女の兄は「飛行機病」にならなかったということでしょう。例の記憶喪失病も「君と会って話をした少しあとくらいからかな、それ以来記憶の喪失はもう一度も経験していない。それで気持ちもだんだん落ち着いて、無事にまずまずの大学に入って、無事にそこを卒業して、そのあとは父親の事業を継いでます。何年か回り道みたいなのはしたけど、今はなんとか人並みにやってるよ」と話しています。

 「それはよかった」と僕は繰り返して、「結局、お父さんの頭を金槌でどついたりはしなかったんだ」と、ちゃかしてもいます。

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 これは、どんなことなんでしょうか。飛躍があるかもしれませんが、私の理解を記しておきたいと思います。

 村上春樹は、芥川龍之介の作品の中に「日本的土着性と、西洋的普遍性」との葛藤と確執を見ています。芥川龍之介は本来的に西洋的普遍性(モダニズム)に向かっていた作家だと村上春樹は考えています。紹介したように、さらに、まだ我々現代人も「モダニズムの中にいる」と村上春樹は指摘しています。<でも、果たして、それでいいのだろうか?>というのが、村上春樹の考えだと思います。

そして、村上春樹は、芥川龍之介論の中で、次のようなことを記しています。とても長い引用となりますが、重要な村上春樹の考えの表明ですので、紹介しておきたいと思います。

 「今日我々が目指さなくてはならないものは、異文化との表層的な折衷ではなく、より積極的な、より本質的な、interactive(相互的)な噛み合いである。我々は日本という文化環境に生まれ落ち、固有の言語と歴史を継承し、そこで暮らしている人間だから、もちろん完全に西欧化、グローバル化することなどできないし、またする必要性もない。これは当然のことだ。しかしその一方で、狭隘なナショナリズムに陥ることだけはなんとしても避けなくてはならない。これは歴史の示す大きな教訓であり、曲げようのない原則である」

 さらに「今日、我々は好むと好まざるとにかかわらず、それぞれの文化の方法論を等価で交換しないことには、うまく立ちゆかないという差し迫った状況に置かれている。政治的、経済的、文化的、宗教的に、孤立した一国主義(地域主義)に向かうことは、あるいはファンダメンタリズムに陥ることは、世界的な規模で思いも寄らぬ危険をもたらすことになるかもしれない。そのような意味合いにおいても、我々(小説家をはじめとする創作者)は外に向けてどんどん文化的に発信し、また同時に外からのものを柔軟に受信していかなくてはならない。自らのアイデンティティーを揺らぎなく保ちつつも、交換できるものは交換し、理解できることは理解し合わなくてはならない」と述べているのです。

 この村上春樹の芥川龍之介論を収めたジェイ・ルービン編『芥川龍之介短篇集』は2007年の刊行ですが、村上春樹の基本的な認識は変わっていないと思います。

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 近代的に高く飛び続けるだけでは、高空の空気ばかり吸っているから、だんだんこの地上の空気に耐えられんようになってしまう。

 日本的土着性にあるよきものも見つめながら、本質的にそれらが組み合わさなくてはならないのではないか。そのようなことが書かれているのではないかと、この短編を読んで思ったのです。

 僕と彼女の兄が再開する場所が、「渋谷」であることは、偶然ではないと思います。歩いてみれば、よくわかりますが、「渋谷」は「谷」です。道玄坂や宮益坂を下った所にある土地です。2人は「渋谷」のコーヒーショップで、「飛行機病」の話をしています。

 高く飛行する近代主義と低い土地の日本の土着性が同時に描かれている場面です。コーヒーショップでの話が終わると、「僕のかつてのガールフレンドのお兄さんは渋谷駅に向かって、ゆっくり坂を下りていった」と村上春樹は書いています。

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 以上で、最初に紹介した[二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたのでしょう?]という[設問]に答えられているのか、自分にはわかりません。また、僕のかつてのガールフレンド・サヨコはどうなったのかなども記さなくてはなりませんが、ここまででも、たいへん長い文章となってしまいました。次の「村上春樹を読む」で、「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」と「『ヤクルト・スワローズ詩集』」について、さらに考えてみたいと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

2019年7月26日

エンタメ記者コラム

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