
豊後独特の装飾瓦「青海波唐破風」を制作する生野盛さん(生野徹二さん提供)
鬼瓦の制作を手掛ける「鬼師」。時代の変化により鬼瓦のある建物が姿を消しつつある中、県内最後の鬼師、生野盛さん=大分市大平=が、がんのため90歳で亡くなった。
生野さんは1920年、同所に生まれた。佐賀関地域の産業「神崎瓦」の第一人者。豊後独特の装飾瓦「青海波唐破風(せいかいはからはふ)」の制作を継承した。青海波唐破風に初めて触れたのは、80年に実施された早吸日女(はやすいひめ)神社の大改修。拝殿の唐破風を持ち帰って修復。大波や蛇腹を施した迫力ある意匠に魅了されたという。法心寺(鶴崎)や長浜神社、能楽堂(牧緑町)など、県内の寺社で“大分の技”をよみがえらせた。96年には伝統的工芸品産業振興協会から伝統的工芸品産業功労者として表彰されている。
いかつい鬼瓦の制作にも熱中した。全国の鬼師でつくる「日本鬼師の会」が91年に発足した際には副会長に就任。同年、旧佐賀関町で初の全国研修大会があり、独特の装飾瓦を学ぼうと全国から鬼師が集まった。
同会の菊地陽一郎会長(47)=愛媛県=によると、高齢化や後継者不足、需要の激減で廃業が相次ぎ、発足当時100人を超えていた会員は現在60人ほど。県内では、発足以来生野さん1人だけだった。生野さんの長男、徹二さん(62)は「洋風建築が目立つようになり、粘土瓦の需要はここ10年で大幅に減った。しかし、父の作品は今後も息づいていくだろう」と話した。
[PR]セントラル短資FX
※無断転載を禁じます。 当ホームページに掲載の記事、写真等の著作権は大分合同新聞社または、情報提供した各新聞社に帰属します。
Copyright (c) 2008 OITA GODO SHIMBUNSHA