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泉都の粋、芸妓に脚光 入門編はオンパク

[2010年06月26日 14:21]

三味線を弾く「美也子」さん(左)と、日本舞踊を披露する「光まる」さん=別府市青山町の聴潮閣

 日本文化の代表格である芸妓(げいこ)。温泉街の別府はかつて、あでやかな芸妓たちの街としても知られたが、時代とともに宴席の風景は様変わりし、あこがれの「お座敷遊び」は消えかかっている。そんな中で、日本の伝統文化の担い手でもあった芸妓の魅力に、スポットライトを当てようとする動きも出ている。

かつては200人
 5月。ある日の夕刻。別府市内の料理屋で、ハットウ・オンパク(別府八湯温泉泊覧会)のプログラム「お座敷あそびのすすめ」が催された。参加者は杯を傾けつつ、三味線の音色と日本舞踊を堪能。興が乗ってきたところで、「加藤清正の虎退治」の伝説をモチーフにした、趣のあるじゃんけん遊びで盛り上がった。
 「かつての別府には200人の芸妓さんがいたそうですが、今はわずか6人です」と話すのは、プログラムを企画した高橋鴿子(はとこ)さん(75)=聴潮閣高橋記念館長。「お座敷遊びは別府の大切な文化。何とか後世に伝えていきたい」と、これまでも気軽に芸妓の世界に触れられる機会をつくってきた。
 三味線を弾いた「美也子」さん=本名・渡辺京子さん(68)=は「皆さんに喜んでもらえて、私もうれしかった」とにっこり。18歳でこの道に入った美也子さんは、三味線や日本舞踊、茶道など、さまざまな芸能や礼儀作法を先輩からたたき込まれたという。その当時は芸妓が所属する「置き屋」は30軒以上あり、繁盛していた。芸妓たちが株を持ち合う「別府検番」が、仕事の取り次ぎやけいこ事の世話をしていた。

世代を超えた魅力
 芸妓の存在は、別府の発展や豊かさを表す側面の一つでもあった。
 建築・都市史の観点から、近代の別府を研究している日本学術振興会特別研究員の松田法子さん(32)=東京大学大学院工学系研究科=は、「別府が日本最大級の温泉街となっていく過程を考える上で、芸妓の存在は無視できない」と指摘。客を引き寄せる温泉場であることに加え、瀬戸内・大阪との海路交通が盛んだったことなどの地理的条件が、別府で芸妓たちが活躍する要因になったとみている。
 近年では、景気の低迷もあって仕事が減り、若い後継者がいないという厳しい現実も。美也子さんは「月1回でも呼ばれればいい方。昭和が一番いい時代でした」と懐かしむ。
 とはいえ、芸妓のファンがいなくなったわけではない。オンパクのプログラムはリピーターが多く、高橋さんが管理する「聴潮閣」で今春、結婚式を挙げた若いカップルは、祝宴に芸妓を呼んだという。
 磨き上げられた芸能には、世代を超えた魅力が宿る。一度、体験してみる価値はあるだろう。

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