
シベリア抑留など戦争体験に関する記事はすべて切り抜きしている。「この体験を後世に伝えることが使命だと思っています」と話す穴井千秋さん=17日、大分市千歳の自宅
第2次世界大戦後、旧ソ連のシベリアに抑留された元日本軍兵士に一時金を支払う特別措置法が成立し、16日に施行された。1人25万~150万円が支給されるが、施行日前に亡くなった人は対象外となる。「今も永久凍土の下に眠り続けている仲間がいる。これで一応のけりがついたことになるのだろうか…」。県内の元抑留者には、複雑な思いが残る。
大分市千歳の穴井千秋さん(83)。終戦直前の1945年7月に、18歳で召集された。約40日ほどで終戦を迎え、2年半シベリアに抑留された。食事はマッチ箱ほどのパン2切れと、わずかな粥(かゆ)のみ。「若かったわたしたちはむしゃぶりついて食ったが、家族がいる30~40代の先輩兵士は『子どもの土産にする』とわずかなパンも懐にしまっていた」
氷点下40度の極寒でのひもじさと重労働。「目の前で仲間が命を落としていった」。亡くなった人をベッドから廊下に引きずり降ろす時のゴツーンという音が今も耳に残る。
今年8月で戦後65年。世間の記憶が薄れていく一方で、穴井さんの抑留時代の記憶は「今も鮮明」といい、平和の尊さを後世に伝えることが使命と思っている。記録集づくりに取り組もうと元抑留者に呼び掛けたが、亡くなったり、体調が悪かったりで断念せざる得なかった。
そして特措法の成立。穴井さんは「亡くなった仲間の遺族には補償金が届かないのだろうか」と疑問を投げ掛ける。21歳から約3年間、シベリアに抑留された近藤佐田生(さだお)さん(86)=宇佐市院内町=は「補償はありがたいが、逆境でのあの苦労は金額では計れない。亡くなった仲間も多く、なぜもっと早く(成立が)かなわなかったのか…」と言葉を詰まらせた。
メモ
総務省は46万人を超える元抑留者のうち、生存しているのはおよそ7万人とし、支給対象者の正確な数字は分かっていない。大分県によると、元抑留者は京都・舞鶴港、福岡・博多港に帰着した際に身上申告書を作成しており、県内関係の元抑留者は約1万1千人いた。
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