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「鷹塚古墳」 古墳時代後期末の方墳と判明

[2010年02月25日 14:53]

九州でも有数の大型方墳とみられる鷹塚古墳。方墳の決め手となった、ほぼ直角に伸びた石の基礎(点線部)。奥の丘は墳丘

 別府市春木の市指定史跡「鷹塚(たかのつか)古墳」が、古墳時代後期末(6世紀の最後の25年間)のものとしては県内初の方墳であることが別府大学文化財研究所の発掘調査で分かった。方墳は当時、大和政権の有力豪族に人気があったが、県内では次の飛鳥時代の古宮古墳(大分市)しか確認されていなかった。同研究所は「別府(当時は速見郡)の有力首長の墓であることはほぼ間違いない。大和政権との濃密な関係性も感じられる」としている。

 鷹塚古墳の大きさは、調査中の周溝部分から想定すると、一辺が30メートルを超えるとみられる。九州で最大の方墳とされる甲塚(かぶとづか)、橘塚(たちばなづか)両古墳(ともに古墳時代後期末、福岡県)に匹敵し、九州でも有数の大型方墳となるという。
 6世紀末に造られたとみられる鷹塚古墳は、近くにある太郎塚・次郎塚両古墳とともに、実相寺古墳群の一つ。規模の確認を目的に、同研究所は2008年度から調査を実施。当初は一般的な円墳を想定していたが、古墳の形の基礎となる石の並び(列石)が円形ではなく、直線だった。24日の調査で北西側の角を発見。そこから北と西にほぼ直角に伸びる二つの列石を確認でき、方墳と断定した。
 同研究所の上野淳也助教は「大和(奈良県)に行ったことがある人、もしくは大和政権から別府に派遣された人の墓だと考えるのが自然」と説明。大和で当時流行した家型石棺も近隣で出土したと江戸時代の記録にあり、大和政権とのつながりを想起させるという。
 「隼人(九州南東部)、さらには中国大陸をも見据えた大和政権の基地が別府にあったのではないか。別府は交通の要所でもあったのだろう。調査を続け、この古墳を保存できるよう重要性を訴えていきたい」と話している。
27日に説明会
 27日午前10時から現地で説明会を開く。無料。問い合わせは別府大学歴史文化総合研究センター(TEL0977・27・6116)。

 <ポイント>古墳
 主に前方後円墳、円墳、方墳がある。方墳は正方形または長方形に大別され、6世紀末から7世紀にかけて造られ、近畿地方に多い。一般的に大きいほど埋葬者の地位が高く、権力が強かったとみられている。

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