
戦後の物資が不足していた時代に、地域住民が手りゅう弾などを材料に造ったとされる大鐘
大みそかの夜に鳴り響く除夜の鐘。豊後高田市玉津の光円寺(天門宣也住職)では、戦後の物資が不足していた時代に地域住民の手で造られた大鐘が、年の移り変わりを知らせ続けて60年目の夜を迎える。
大鐘は戦後間もない1950年3月、地元住民が協力し、当時市内にあった鋳造業者で製造された。太平洋戦争中の43年、以前あった大鐘は軍の命令で供出され、新たに大鐘を造る際は材料が不足していたために、銃弾の薬きょうや手りゅう弾などを集めて材料に使ったとされる。
「戦争で残っていたものを材料にしたのではないか」と天門住職。大鐘には鋳造業者5人の名前も刻まれ、「豊後高田にそれだけの技術集団がいたということ。そういった歴史を知ることもできる」と語る。江戸時代の地図には寺周辺は「鋳物師(いもじ)町」と書かれ、昭和の中ごろまでは数軒の鋳物工場が点在していたという。
天門住職は「戦後、何もない時代に、地域が協力して造ってくれたのではないだろうか」と思いを募らせる。「二度と戦争を起こしてはならないという願いが大鐘には込められている。地域の思い、技術者が多くいた歴史を後世に伝えていかなければいけない」と話した。
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