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“維新の舞台”大分 訪れた志士たち

[2009年11月28日 15:03]

坂本竜馬、勝海舟、西郷隆盛らが訪れた豊後水道の海=大分市佐賀関

 2010年のNHK大河ドラマは、坂本竜馬の生涯を描く『龍馬伝』。「あこがれの歴史上の人物」として常に上位にランクされる日本史のヒーロー坂本竜馬をはじめ、勝海舟、西郷隆盛ら幕末の志士たちは、実は大分を訪れていた。

 『海舟日記』によると、勝海舟は1864年(文久4年。途中2月20日から元治元年)2月15日に佐賀関に上陸。鶴崎、野津原、久住で泊まりながら、豊後(肥後)街道を通って長崎に渡ったと記されている。熊本城下に着いた19日に「横井(小楠=熊本藩士で儒学者)先生のもとに竜馬を行かせた」との記述があり、当時海軍塾の筆頭だった坂本竜馬と一緒だったことが分かる。
 復路は同年4月4日に長崎を出立。熊本を経て再び豊後街道を通った。当時の記録が大分市佐賀関の徳応寺に残っている。第10世住職の東光龍潭著『日本人物誌』(同寺所蔵)は、勝が蒸気船長崎丸で到着したことを絵入りで紹介。4月10日に勝とともに宿泊した人物として「坂本龍馬」の名を書きとどめている。
 後に竜馬が作った新国家政策案「船中八策」の元となる横井の教えや生涯の師である勝との道中の談議…竜馬の思想は豊後街道で深められていった―。

 勝一行の長崎行きは、米英蘭仏4国による下関攻撃の調停が目的だったがかなわず、4国連合艦隊は同年8月5―7日に下関を砲撃した。このとき佐賀関沖を艦隊が通過していくさまも『日本人物誌』に詳しい。
 艦隊は姫島沖に停泊。姫島で調停に奔走したのが英国留学から帰国したばかりの伊藤博文と井上馨だった。英国領事館の外交官だったアーネスト・サトウは著書『外交官の見た明治維新』の中で「二人の日本の友人伊藤と井上を上陸させた(中略)住民は非常に親切だった」などと記している。
 当時幕府の軍艦奉行だった勝も調停のため、8月14日に姫島を訪れたが、時すでに遅かった。

 西郷隆盛も大分に来ている。竜馬ら大分入りの翌65年のこと。薩長連合をはかる中岡慎太郎は、桂小五郎と竜馬に会うよう西郷を説得。ともに鹿児島で乗船し、海路で下関に向かった。中岡の日記『海西雑記』に「(元治二年閏五月)十八日 豊後佐賀関泊(中略)大島屋に宿す」とある。また『維新土佐勤王史』によると、西郷はここ佐賀関で予定を“ドタキャン”し、大阪に向かったという。
 約150年前、大分もまた維新ドラマの重要な舞台となっていた―。

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