
坂本竜馬が佐賀関で宿泊したことが記されている「日本人物誌」(徳応寺蔵)
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にあやかり、大分県と坂本竜馬の関係をPRすることで観光振興などに役立てようとする「第1回県『龍馬伝』連絡協議会」が7日、別府ビーコンプラザのツーリズムおおいた会議室であった。
(1)大分と竜馬のかかわりを多くの人に知ってもらい、郷土の誇りにつなげる(2)まちおこしの材料として活用する―などが目的。県内各地の行政、観光関係者、歴史研究家ら約20人が出席。会長に辻野功別府大客員教授(勝海舟・坂本竜馬の銅像と歌碑を建てる会会長)を選んだ後、今後の事業計画などを話し合った。
委員からは「大河ドラマの脚本に大分を入れてもらう方法はないか」「地域でのツアーをもっと増やすべき」などの意見が出された。東光爾英(ちかひで)・徳応寺住職による講演「龍潭(りゅうたん)著『日本人物誌』と坂本龍馬」もあった。
勝海舟と豊後街道歩く 珍しい本名での宿泊も
坂本竜馬が大分県を訪れていたという事実は、一部の歴史研究家らの知識にとどまり、広く県民には知られていなかった。
勝海舟によって書かれた「海舟日記」には、勝が1864(文久4)年、徳川幕府の命令で海軍塾の筆頭だった坂本竜馬を連れて船で大分市の佐賀関に上陸。佐賀関から鶴崎、今市、久住と肥後街道(豊後街道)を歩き、熊本から長崎に渡ったと記述している。
また、大分市佐賀関にある徳応寺の第10世住職、東光龍潭(とうこうりゅうたん)(1807~1881)は自著「日本人物誌」(同寺所蔵)の中で、1864年2月15日に勝麟太郎(海舟)が蒸気船長崎丸で佐賀関に上陸したことを絵入りで紹介。長崎からの帰りとみられる同年4月10日には勝とともに宿泊した人物の中に、坂本竜馬の名前が記されている。竜馬は当時、宿泊先では多く偽名を用いていたため、本名による記述は非常に珍しいという。
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