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遅い決断残留へ“かけ” フロントの責任も

[2009年07月15日 10:32]

Jリーグのナビスコ杯で初優勝し、胴上げされる大分・シャムスカ監督=2008年11月1日、国立競技場

 急転直下だった。フロントはJ1リーグ第18節浦和戦(18日・九州石油ドーム)をシャムスカ監督体制で臨むことも示唆していたが「決断」は下された。90分間の試合でリーグワーストとなる14連敗を記録。本来なら遅い決断でもあるが、J1残留に向けた最後の“かけ”に出た。

 「最後の最後まで(監督交代は)決まっていなかった」。原靖取締役強化部長(41)の一言は本音だろう。1カ月の中断期間明けも、主力が負傷で再離脱し、同じ負け方を繰り返した。監督交代は念頭にあったが、最下位の成績で後任監督が決まらず、踏み切れなかった。
 14連敗した翌日の13日夜、フロントが解任の方針を決定。一度、食事をした程度というポポビッチ氏(42)と電話で深夜3時まで交渉。「任期は今季いっぱい」と大まかな契約内容と金額でしか合意を得ていない。新監督は「じゃあ日本へ向かう」と急きょ旅立った。
 勝ち点4の最下位でJ2降格が現実味を帯びている。それでも「1勝すれば好転する」。フロントも監督も選手も、そう信じてきた。2005年の降格危機を救った指揮官の手腕や、ナビスコ杯優勝メンバーがいたからだ。
 大分フットボールクラブには「早く辞めさせろ」という一部サポーターやスポンサーの声も寄せられた。シャムスカ監督が待ち望んだスピード抜群の新戦力、MFフェルナンジーニョ(28)=ブラジル=が合流する前日に、皮肉にも指揮官が去ることになった。
 成績低迷の責任は指揮官にある。しかし、フロントはシャムスカ監督をサポートする環境を十分に整えていたのか。補強は遅れ、通訳も4人交代した。「監督は口も耳もふさがれている」という声もあり“負荷”を背負っていた。解任を告げられた瞬間、寂しい顔をしたという。最後に責任を負うべきはフロントにある。(運動部・坂本陽子)

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