
別府湾で潜水訓練をするやまくにの潜水士=2月
「ボーゥ」。別れを惜しむような、重低音の汽笛が港いっぱいに響いた。今月5日、乙津川河口の大分市中ノ洲、大分港乙津岸壁。海の安全を守ってきた大分海上保安部最大の巡視船「やまくに」(320トン、荒木博船長)が、31年間の歴史に幕を下ろした瞬間だ。
「寂しいですね。配属時から知っている分、思い出もひとしお。最後の汽笛を聞いた時は涙が出ました」。
この日開かれた同船の引退式で、元航海長木島哲哉さん(80)=大分市錦町=は、ともに人命救助などを手掛けた「やまくに」の雄姿を見送った。
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「やまくに」は1978年、臼杵市の臼杵鉄工所で造られ、同年、大分海上保安部に配属された。生まれも育ちも地元・大分だ。名称は中津市を流れる山国川にちなんだ。乗員は23人。主に大分県沖をパトロールし、密漁や海への不法投棄など犯罪の取り締まり、船と人命の救助など海難事故に出動してきた。
今では「海猿」と言った方が分かりやすい。マンガを原作にした映画「海猿」で、俳優の伊藤英明ふんする海上保安官の潜水士が、沈没した船から人命を救助する。潜水士の格好良さが受けたのか、映画は大入り満員。海上保安官を希望する若者が増えたという。
保安部には8隻の巡視船・艇などがある。「やまくに」はその「海猿」が乗船する同保安部唯一の潜水士指定船だ。過去31年間で427件の犯罪を摘発。海難事故では27隻・98人を救助してきた。大分県沖だけでなく、大事故の場合は県外にも応援に出掛けてきた。
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1994年、長崎県沖で起きた漁船沈没事故では、「やまくに」の潜水士が水深40メートルの沈没船から乗組員の遺体を捜しだした。潜水士の上田哲次さん(45)は「限られた時間内での捜索。各部屋を回りながらまさに時間との勝負でした」と「海猿」さながらの活動を繰り広げてきた。
99年の伊予灘での浸水沈没事故では、天候急変の大しけの中、救命いかだで漂流していた乗組員4人を全員救出。海上保安庁長官表彰も受けている。
1回の航海は2、3日が多い。23人分の食料を持ち込み、冷蔵庫に保管。3交代で勤務し、当番の係が調理をしていた。風呂、ベッドも完備。空いた時間には自分の専門外の仕事をしたり、休憩。もちろん、海難事故では全員態勢で業務に当たった。
元機関士の荒金孝さん(73)=大分市下判田=は「潜水士が訓練をしている間は人出が足りず、仕事量も増えた」。それでもチームワークの良さは忘れられず、「仲間とボランティアでもちつきをしたのはいい思い出」と懐かしむ。
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「やまくに」が31年間に走った距離は地球16周分に当たる約64万キロメートル。当初のスピードは18ノット(時速約33キロ)以上出ていたが、船体の老朽化に伴い、16ノット(同約30キロ)まで落ちた。「やまくに」を「恋人のような船」と話す最後の船長、荒木さんは「よくここまで持ちこたえてくれた」と感無量だ。
元航海長の木島さんは退職時、中津市本耶馬渓町にある「青の洞門」の油絵を「やまくに」に贈った。洞門の横には山国川が流れる。その絵は今月末に着任する新しい巡視船「やまくに」にも受け継がれる。
多くの人たちの思いとともに、新「やまくに」も大分県の海の安全を守ってくれることだろう。
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