
三塁側アルプス席で懸命の声援を送る上野丘応援団=24日、甲子園
選手に届けと、声を張り上げて校歌をとどろかせた。24日、甲子園の三塁側アルプス席。敗れはしたが、上野丘の堂々とした戦いぶりに、惜しみない拍手がわき起こった。
箕島(和歌山)に5点を奪われ、0―7と大差をつけられた直後の7回表の攻撃。上野丘の在校生やOBらは、校歌を歌った。その“パワー”が伝わったのか、打線に勢いがついた。最終回まで粘って、3点を返す意地を見せた。選手は「校歌が力をくれた」と口をそろえた。
アルプス席には、27台のバスで駆け付けた約900人の在校生や保護者をはじめ、全国にいる同校OBらが集まった。水色と白のジャンパーを着て、上野丘の「U」の人文字を浮かび上がらせた。
応援団の号令やブラスバンド部の演奏をバックに、打席に立つ選手に大声援を送った。足立瑛(あきら)投手がピンチを迎えると「頑張れ足立」のコールを繰り返した。
大きな校旗を持った徳丸陽介君(2年)は「甲子園の風は強いが、選手と一緒に勝利のために頑張る」と足を踏ん張った。応援団員の後藤由布子さん(3年)は「絶対勝ってほしい」と、ダイナミックな動きで応援をリード。チアリーダーの阿南美月さん(3年)は「信じています」と力いっぱい体を動かした。
しかし、願いは届かず、試合終了のサイレンが鳴った。
同校出身で、今春、定年退職する平塚正明校長(60)は「校歌をこの場所で歌い、涙が出てきた。選手は最後まで粘って立派だった。素晴らしい後輩たちだ」と感動していた。
初出場の大先輩ら
遺影抱いてエール
○…上野丘が、前身の「大分中学」時代の1948年に甲子園に初出場した際の主将、大塚賢治さん(78)=福井県=は、当時の一塁手で2月13日に亡くなった奥川徳二郎さん=千葉県=の遺影を抱いて応援した。
21世紀枠での出場が決まってから、奥川さんは母校の活躍を見るのを心待ちにしていた。そんな思いを受け止めた大塚さんは、当時のチームメートと一緒にアルプス席に座り「後輩たちが見えるか」と遺影をグラウンドに向けた。大塚さんは「奥川君はきっと喜んでくれたことでしょう」と話した。
最後の応援団員
「後輩たちに感謝」
○…1992年に同校応援団が廃部になったときの団員だった造士宏明さん(35)=会社員・栃木県=は、当時の団服を着てアルプス席に立った。
何度も補正され、代々、受け継がれていた服。最後の団員として大分市内の実家に大切に保管していた。
「甲子園での応援は高校時代に果たせなかった夢。後輩に感謝したい」。腹の底から大きな声を出して応援した。
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