
「述志」など9点を展示=6日午前、県立先哲史料館
旧日本海軍の山本五十六連合艦隊司令長官直筆の遺書とされる「述志(じゅっし)」など九点を一般公開する「緊急速報展 発見!堀悌吉と山本五十六」が六日、大分市の県立先哲史料館で始まった。これまで所在が分からなかった貴重な史料を一目見ようと、山本ファンや愛好者が訪れた。十四日まで(八日は休館)。無料。
史料はいずれも山本長官と深いきずなで結ばれた堀悌吉海軍中将(杵築市出身)の遺品から見つかった。
展示では、山本長官が一九四一年十二月にしたためた「述志」が目を引く。便せんに筆でしたためた文面からは、日米開戦に強く反対しながらも、軍人として戦争の先頭に立つことになった苦悩がうかがえる。
山本長官が四一年一月にまとめ、当時の海軍大臣に提出した「戦備訓練作戦方針等ノ件覚」からは、航空機と魚雷による真珠湾の奇襲攻撃を、開戦の約十一カ月前に立案したことが分かる。堀中将が戦後、山本長官と後任の古賀峯一長官についてまとめた「五峯録(ごほうろく)(甲冊)」も展示している。
展示を見た後藤勲さん(69)=別府市スパランド豊海=は「もともと戦争に反対していた山本長官が、戦争を遂行するとは皮肉なものですね。小説を読んでみたくなりました」。旧海軍出身の阿南直浩さん(79)=大分市青葉台=は「当時、山本長官の戦死を聞き、戦争の先行きに不安がよぎったのを思い出しました。陸軍にも、山本や堀のように欧米のことをよく知る幹部がたくさんいれば、戦争は防げたかもしれない」と話した。
【述志】山本五十六長官が死を決意して書いたとされる2通の文書で、遺書とされる。内容は堀悌吉中将の「五峯録」などで分かっていたが、実物は今回の調査で見つかった。1通は1939年の海軍次官時代、暗殺の危機がある中、日独伊三国軍事同盟締結に反対する思いを述べた。41年の「述志」は太平洋戦争開戦当日の12月8日に戦艦長門の艦上でしたためた。
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