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【ラグビー成年決勝・大分ー三重】前半15分に星野幸喜が中央付近にトライを決める=竹田市総合運動公園陸上競技場
<成年> 負傷欠場の河津の分まで
「自分を信じて、仲間を信じていこう!」。試合前、円陣から力強い声が上がった。ラグビー成年は、地元大分が決勝に臨んだ。
相手は、ラグビートップリーグ入りを目指すホンダヒートの三重。前半9分に先制トライを許したが、大分は15分にLO星野幸喜(25)=サニックス=が密集から飛び出して中央に走り込み、トライ。同点に追いついた。しかし、スピードと大型FWの力で攻める三重が次々にトライを決め、終わってみれば7―52。優勝には届かなかった。
ノーサイドの笛が鳴り、選手は観客の温かい拍手に頭を下げながら涙。ベンチには、準決勝で顔面を骨折し、決勝に出られなかった河津周平(25)=NTTコミュニケーションズ=のジャージーが掛けられていた。河津は検査のため、決勝に来ることができなかった。
森大輔監督(31)=東芝=は「1日に全員がやっとそろったチームだったが、試合をする度に結束が強くなった。河津はこの場にいられなかったけど、22人が一つになって獲得した準優勝」と感慨深げ。舛尾敬一郎主将(34)=ワールド=は「最高のチームだった。このチームで、もう戦えないのは残念。地元大分で大声援を受けて試合ができてうれしかった」と話した。
<少年> 病気と闘う岩村の分まで
ラグビー少年の決勝で、大分のベンチには1枚のラガーシャツが掛けられていた。舞鶴高伝統の黒ジャージー、背番号11。大会直前に病気で入院を余儀なくされ、チームを離脱した同高3年の岩村大紀(17)のジャージーだ。「大紀の分まで頑張る」。そう誓った大分の選手たちは、岩村のシャツにタッチして決勝のグラウンドへ向かった。
岩村は舞鶴高で2年生からWTBのレギュラーに定着し、花園での全国大会にも出場。大分国体では、大分のポイントゲッターとして活躍が期待されていた。
しかし9月下旬、内臓疾患のため福岡県内の病院に緊急入院。大分の主将、FB平山達也(同高3年)は「大紀も病気と闘っている。大紀のために優勝することが、いつしかチームの目標になった」という。けがを乗り越えて大分国体から戦列に復帰したCTB牧寛享(同高3年)は全試合、岩村のリストバンドを付けて出場した。
接戦を勝ち上がり、迎えた決勝。国体屈指の攻撃力を誇る福岡に対し、大分は積極的なラグビーを展開。後半の序盤までリードした。だが終盤、流れは相手に傾き、立て続けにトライを許した。福岡の“壁”は厚く、準優勝で幕を閉じた。
試合後、チームメートが肩を落とす中、平山主将は、岩村のシャツを手に言った。「今度は大紀と一緒に花園のグラウンドに立つ。この借りは花園で返す」
スター軍団に一歩も引かず
決勝戦の相手は優勝候補・福岡。「終わった後、後悔するな。攻めていけ」。堀尾大輔監督(36)=舞鶴高教=のげきに応え、ラグビー少年が途中まで一歩も引かない戦い。敗れたが、見る者に確かな記憶を残した。
舞鶴高を中心に大分工高、雄城台高の選手が入った連合軍。当初はかみ合わない面もあり、戦力そのものも不安視された。しかし、大分国体に合わせ、組織の熟成はしっかりと図られていた。
1回戦から難敵ばかりとの対戦。接戦を制して勝ち上がり、迎えた決勝。速いプレッシャーと鋭いタックルから相手攻撃の芽を摘み、機をみて果敢に攻めた。後半、日本代表らを擁するスター軍団に地力を見せられたが、守備から流れを呼び込む”大分の形”を地元国体で確立。「自信」の二文字を身にまとった。
堀尾監督は「戦力が厳しい中、選手の頑張りは認めてやらなくてはいけない。強い相手としのぎ合う中で経験できた」。平山達也主将(舞鶴高3年)は胸を張った。「優勝できず悔しいが、福岡とここまでやれ、積み重ねてきたことは出せた」
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