リコール(解職請求)運動中の町長辞職に伴う出直し玖珠町長選挙は26日午後5時、立候補の受け付けを締め切った。
▽高倉正行(54)=無新▽梅木恒明(75)=無新▽朝倉浩平(63)=無新▽後藤威彦(66)=無前▽宮西博幸(44)=無新=の5氏(届け出順)以外に立候補者はなく、5人での選挙戦が確定した。
投票は31日午前7時から午後7時まで20カ所で(一部繰り上げ)。午後8時から町役場大会議室で開票される。期日前投票は27日から30日(午前8時半から午後8時)まで町役場202会議室で行える。
25日現在の選挙人名簿登録者数は男性7004人、女性7793人の計1万4797人。(立候補者の年齢は31日現在で、法律に基づく満年齢)
<候補の横顔>
26日に告示された出直し玖珠町長選(31日投開票)。立候補した5人のプロフィルを紹介する。(届け出順)
高倉正行(たかくらまさゆき)候補
国会議員秘書時代に人脈
「生徒会長を務めるなど優秀な生徒だった」と玖珠農高時代の恩師。1974年に同校を卒業し、大分市の自動車販売会社に就職。その後、国会議員秘書を約27年務めた。「秘書として県内のほとんどの市町村を回り、大きな人脈をつくることができた」
「玖珠町は町政が混迷して町民が戸惑っており、前が見えない。町民が一つになることのできる元気な新しい町づくりを託したい」との多くの声に押されたのが出馬の動機という。
「町民の和を保つことが最初にやるべきこと。子どもからお年寄りまですべての人に夢を与えられる元気な町づくりを目指したい」と語る。
町内戸畑出身。54歳。
梅木恒明(うめきつねあき)候補
「医療と福祉」訴え続ける
法政大、日体大を卒業。1959年から85年まで東京の目黒高校に教員として勤務。この間、ラグビー部監督として通算10回、全国制覇へと導いた。東京農大でもラグビーを指導した。
「ラグビーを通じて多くの友人を得た」と言い、政治家や企業幹部らの人脈をアピールする。
過去、町長選に5回(九重町長選1回を含む)挑戦した。衆院選や参院選、県議選、玖珠町議選にも出馬してきた。一貫して医療と福祉の充実を訴えてきた。
「総合運動公園の建設を中止し、用地に温泉リハビリ施設や夜間病院などを造る。今回が最後の選挙。命懸けでやる」と意欲を見せる。
町内大隈出身。75歳。
朝倉浩平(あさくらこうへい)候補
古里を客観的に見て決断
玖珠町で生まれ、高校まで過ごした。早稲田大を卒業後、1970年、東京の証券会社に入社した。同社の大分支店開設準備で3年半ほど大分にいた以外、2006年に投資信託会社を退職するまでずっと東京暮らし。
「外から見ると玖珠は自然が豊か。可能性と魅力を秘めた町だと思った」。大分に戻り、銀行でアドバイザーをする傍ら、玖珠町に通ってニンニク栽培などにも精を出していた。
「客観的に見て、町が混乱していると感じた。政争をしている時間的余裕はない。町民がまとまって新しい町をつくらなければ」との思いから、中学時代の同級生らに相談、出馬を決断した。
町内森出身。63歳。
後藤威彦(ごとうたけひこ)候補
「町が好きな人間」を自負
法政大を卒業後、1971年、県職員に採用され、玖珠九重地方振興局長などを歴任した。
「玖珠が好きでしょうがない人間」と言う。「県に在職した33年間のうち、希望もして11年間、玖珠町にかかわった。この町のことはよく分かっている」と自負する。
2008年8月の町長選で初当選。総合運動公園建設中止の選挙公約を覆したことなどからリコール運動が起こり、昨年12月に辞職した。
「町のことを考えてやむなく建設継続を決断したが、公約を破ったことでは悩んだ。公正、公平な町政運営に努め、成果を挙げてきた。このことも含めて再度、町民に信を問いたい」
町内塚脇出身。66歳。
宮西博幸(みやにしひろゆき)候補
移り住んで「良さ」を実感
1993年に米フェリス州立大を卒業後、札幌市で家庭教師や学習塾の非常勤講師をしていた。「田舎暮らしをしたい」と98年、玖珠町に両親と移り住んだ。
「住民の方々がとても親切で、わたしたちを快く受け入れてくれた。自然が素晴らしく、食べ物がおいしい。この町が大好き」
総合運動公園建設に強く反対する。「公園ができれば維持・管理費で町民の暮らしが苦しくなり、さらに過疎化が進む。町の将来に危機感を覚えた」と言い、建設されれば「好きなこの町を出ていこう」とも考えたという。
「自分のためにでなく、人のために」を信条にしている。
北海道滝川市出身。44歳。
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