よく言われることだが、来日した外国人を驚かせるのが、日本の犯罪の多さだという。実数や人口比で言うのではなく、実は新聞を見ての話である。それだけ日本の新聞には、毎日、あそこで殺人、こっちで強盗と事件記事が多い。
日本人は事件ものが大好きだ。テレビを見ても、ワイド劇場では人が何人も殺されるし、刑事モノのほか、勧善懲悪の「水戸黄門」や人情話の「大岡越前」などの時代劇は、今や国民的ドラマとなっている。
ちょっと古いが、日米の犯罪記事数を比べたデータがある。「犯罪報道」(五十嵐二葉著、1991年・岩波ブックレット)で、国内大手紙と米紙ニューヨーク・タイムズでは、日本の方が犯罪件数比で23倍もの記事が出ていたという。
日本人の事件好きはこの報道ゆえか、それとも先に国民性あっての報道なのか。どちらにしても、日本が事件捜査や逮捕報道が中心の一方、米国では裁判や論評の報道が多い。記事の扱いも日本の方が断然大きく、実態を知らない外国人が見れば、日本は犯罪であふれる国に映るわけだ。
県内では先週、初の裁判員裁判があったが、同制度を機に小社を含むマスコミが始めたのが、容疑者を犯人と決め付けない、報道だ。一般の裁判員たちに予断を与えないというのが大きな理由である。
具体的には、あいまいだった情報の出所を「警察によると」というように明確にすることや、検察、弁護双方の言い分を掲載するというもの。しかし、捜査情報の掲載が多い中、いきおい犯人視報道と言われても仕方ない現状は残る。
裁判員裁判に参加した人たちの話を聞くと、おおむね好評だ。検察、弁護双方の主張は分かりやすく、事件を通して世の中を見るいい経験になったという。
制度に課題はある。しかし、国民参加による裁判内容の変革は大きく、今後の犯罪報道をさらに変える可能性がある。日本のマスコミも抜きつ抜かれつの捜査や逮捕報道から、裁判報道へと軸足を移す。そんな日が来るかもしれない。
(社会部長・清田 透)
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